自傷行為を繰り返し、耳鳴りと幻聴におびえる生活から抜け出す方法


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私には学生時代から、しばしば鬱の兆候がありました。病院に行ったことはありません。行った方がいいだろうか、と思うことはありましたが、結果的に行けませんでした。母は精神疾患に強い抵抗があり、甘えだ、弱さだ、と言うタイプなのです。にも関わらず、私が高校生の頃に姉が鬱になり、通院することとなりました。戸惑いつつも、医師の話もあり、理解を示そうとする母でしたが、鬱に対してますます敏感になり、私が学校をさぼったり、日常でちょっとした問題行動を起こすと、母は「あんたは大丈夫だよね?」と言いました。私は「大丈夫」と言うしかありませんでした。でも、本当は、大丈夫ではなかったのだと思います。

私は人間が好きではありませんでした。人付き合いが苦手でした。集団に馴染めませんでした。母や姉を疎んじていました。それでも妹や甥を守らなければと、家の中では自分がしっかりするのだとも、思っていました。外で愛想笑いする自分も、家で気丈にふるまう自分も、嫌いでした。鬱々とした日々を過ごすにつれ、その小さな『鬱々』の欠片が、やがて塊になり、鬱になるのです。私はまだ大丈夫、大丈夫、と言いながら、不眠に悩まされ、ばれないように自傷行為を繰り返し、耳鳴りと共に時々訪れる幻聴に怯えていました。数少ない友人関係にも耐えられず自ら断ち切り、孤独である方が自由なのだと自分に言い聞かせました。しかし、考えることは一人だってやめられないのです。


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他人と距離をおいて分かったことは、私の中にある不満たちは、あくまでも私自身のものだということ。人と関わっていないからといって、人に対する苦手意識は変わらないのです。星の数ほどいる人間たちを、私の納得いく生き物にすることなど、到底不可能な話です。だったら諦めてもいいんじゃないか。好きでも嫌いでも納得いかなくても、みんなそんなの曖昧に生きているんだ。そう思うと、少しだけ、気持ちが楽になりました。諦観が、私の小さな武器になりました。

頑張りたいのに頑張れない。鬱の症状で、よく言われることです。頑張れないと思うのは、大抵の場合、努力が報われなかった過去があるのだと思います。報われないのは辛いことです。でも、見返りを求める方が辛いことだと、近ごろは思います。色々なことを「まあ、いっか」で済ませられるようになれば、自分のちょっとしたミスも怖くなくなるし、何より、他人を許せるようになります。他人を許すことは、結果的に、自分のためになるものです。持続的な怒りや悲しみは、自身の心を疲弊させます。どうしても割り切れなかったり譲れない部分があるでしょうが、そんなときは、許しきれない自分を許してあげればいいのです。おおまかに、ざっくりと、許してしまえば、それだけで気持ちはずいぶん楽になります。そしてきっと、余裕ある自分になることができれば、本当に大切なものを、大切にすることができるのでしょう。

(トカゲ・28才・茨城県)


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