行き場のない怒りは、自傷行為という形で現れ始め…


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幼少期。私はおとなしい子どもでした。人見知りが激しく、いつも母の後ろについているのが当たり前で、関わる人間も殆どが母の知り合いの大人たちでした。そのせいか、自分の同世代の子どもと上手く接することができず、友達も、少ない方だったと思います。

私には2つ年上の姉がいます。人見知りな私は、母が忙しいときなどは、姉にべったりでした。そんな私を姉も可愛がり、普段はとても面倒見よく私を構ってくれていました。しかし、友人らの前などに行くと何故か私を仲間外れにしたり、からかって遊んだりということが、しばしばありました。子ども特有の虚栄心といいますか、優越感に浸りたかったのでしょう。それでも、他人と関わることが苦手な私は、少しくらい嫌な思いをしても、姉と行動を共にすることを選びました。

成長するとともに、姉の意地悪は露骨になり始めました。私が小学校にあがって以降は、あからさまに私を格下扱いし、親戚の集まりや、一緒に通っていた習い事のグループ内などでも、他の人たちと私を小馬鹿にして、いわば、いじめっ子集団のリーダーのような存在でした。それでも家にいるときは優しく、それまで通り遊んでくれます。子どもの私には、姉の考えていることがさっぱり分かりませんでした。ただ言えるのは、私が『集団』を嫌悪し始めたのは、この頃からだったと思います。

小学校高学年に入ると、私に妹が生まれました。年が離れている分とても可愛く、母が忙しかったせいもあり、毎日一生懸命に世話をしていました。甘えん坊だった私が急にしっかりとし始めて、姉の私に対する態度が少しずつ変わり始めました。姉が中学で部活を始めたこともあり、いつの間にか私たちは、あまり一緒にいなくなりました。

私が中学にあがった翌年、両親が離婚しました。理由は色々とあったようで、私たち子どもらは大きく反対はしませんでした。ただ、ちょうど難しい年頃だった姉は、その影響あってか、段々と生活態度を悪化させ、派手に遊びまわったり、家出したり、高校も辞め、しまいには警察沙汰を起こすようになりました。家の中は荒れ始めました。問題を起こす姉。日に日にヒステリックになる母。何も分からない妹を、私は子どもながらに「守らなきゃ」と思っていました。


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そうやって『しっかりした自分』を作り上げていく中でも、やはり家の外の人間関係は苦手なままでした。友達はいたものの上手く付き合うことができず、集団の中で生きるのが息苦しく、理由をつけては自らはみ出るような行動をとっていました。どうして自分は他の人みたいに、自然に集団に溶け込めないのだろう、と思いながら。

高校生になった、翌年。家を出ていた姉が戻ってきました。子どもができたからです。姉は結婚せず、一人で育てていくと言いました。私はまだ姉を許せていませんでしたが、子どもには罪がないし、単純に可愛いと思ったので、一緒に住み、子育てにも協力していました。しかし姉は悪癖が抜けず、夜遊びのために子どもを置き去りにしたり、金銭問題で母と諍いを起こすなど、相変わらずの身勝手ぶりでした。

ここにきて、私は殺意を覚えました。家族を振り回す姉にも、それをセーブできないどころか、ヒステリーを起こして妹や姉の子どもにまで当たる母にも。私は平和を望んでいるのに、どうして、自分より大人なはずのコイツらは、いつも私たちの心を乱すんだろう、と。刃物を持ち出し、犯罪に手を染めそうになったことは何度もあります。それでも一線を越えなかったのは、ただ妹と、姉の子どもの将来を思えばこそでした。私は我慢しました。ひたすら我慢した結果、行き場のない怒りは、自傷行為という形で現れ始めました。妹たちにバレない程度に腕などを傷つけ、夜中に薬を大量摂取しては吐き戻し、頭痛と、激痛を伴う耳鳴りで、眠れない毎日を過ごしていました。幻聴が聞こえることも度々ありました。楽しそうに学校生活を送る同級生を見て、心底、普通になりたい、と思いました。

もう終わらないだろうと思っていた苦痛は、いつの間にか消えていました。戻らないだろうと思っていた家族の笑顔が、今あります。何がきっかけだったのか、いつからこうなったのか。ただ時間が過ぎただけです。諦めること、折り合いをつけることを学び、人を許すことも、できるうようになりました。母や姉もきっと似たようなものなのでしょう。苦痛から身を守るために攻撃してしまうのは、人として、時に仕方のないことです。ただ、自分の非を認め、それを糧にすることができるなら、全ては無駄でなかったと思えるのです。

(トカゲ・28才・茨城県)


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