精神疾患障害者手帳が交付され、障害者枠で就職が出来た話


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サービス業として早番と遅番という不規則な勤務をしていました。大学卒業後、就職をしていあのですが27歳くらいの時から原因不明の動機や眩暈に襲われる日が続きました。貧血の症状に近かったため、内科を受診しましたがその際には特に異常はないとの事。度重なる症状から大学病院などでも検査をしましたが、特に異常はないとの事でした。その後、3年間働き続けましたが体調不良という事で退職し、別の業界に転職をしましたが転職をした3か月後の夏場にめまいと低体温で倒れ、顔面蒼白の状態と脱力感から動けなくなり救急搬送されました。病院で検査をしましたが異常がないとの事でしたが、体調が回復せず、耳鼻科や脳神経外科、総合病院にされ、甲状腺専門医に行き最終的にメンタルクリニックを受信することになりました。

メンタルクリニックでは様々な問診があり、今まで気づかなかった症状についても、考えて答えているうちに「自分が正常な状態ではなかった」とう事に気づきました。サービス業をしているときに勤務が不規則で終電で帰って翌日が始発の勤務で睡眠時間が確保できず、遅刻して開店出来なかったらどうしようという不安から寝なれない状態が続いたり、業績責任を会社から追及され、業績回復のために一日中店舗に張り付き、休みの日にも呼び出され、クレームが起きればクレーム対応に追われ家に帰ると泣いているという日々が続いてたことが当たり前になっていましたが、普通の生活ではなかったという事に気が付きました。当時、電車に乗ったり込み合ったりしているところで過呼吸を起こしたりしていたことから、当初パニック障害と診断を受けましたが、うつ病の可能性があるという事で抗うつ薬を処方されるようになりました。暫く離職をしていましたが、頼れる身内もいない為社会復帰をしようと試みましたが体調悪化により試用期間で解雇されたり、派遣会社でも途中で勤務が出来なくなるなどがあり、また離職をするということを繰り返していました。2年間のうちに5社の転職と離職を繰り返し、一般企業での就職が困難になってきました。


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現在もふとしたことで、落ち込みSNSの幸せそうな情報を見ても、心から喜ぶことは出来ずという状況が続いています。うつ病と診断された後に、身体表現性障害という別の名前が診断身として着けられ、その中にうつ病の症状がはいっているのですが、手足の震え・動悸・息切れ・眩暈・体温調整のコントロールが上手くできないなどの症状や、左半身の疼痛傷害などの症状もでていまう。マイナスな発言をすれば、友人が去っていき、無理やり元気なふりをして生活を送っていますが、自宅に帰ると泣いたり落ち込んで動けないという日々。身体表現性障害という事で、精神疾患障害者手帳が交付され、何とか障害者枠で就職は出来ましたが、一般社員と違い契約社員であり給与や待遇は当然正社員とはことなり、差別社会をなくそうと大企業では障害者手帳を持っている人の採用を積極的に行っていますが、実際は身体障害者の雇用率が高く精神疾患障害者に関しては差別的な偏見や待遇は差別的な事が多くあるという事です。また、企業は障害者手帳保有者を採用しているという実績が欲しいだけの様な気がしてならないのが事実です。

手帳を取得して良かった点としては、障害者枠での雇用が決まったことです。やはり2年間に5社の転職というのは何らかの理由がなければ館あえっれない為、理由を明確にすることが出来たことはよかったと思っている反面、人事総務と直属の上司以外は理由を知らない為、同等社員としえ扱ってきますが給与に10万以上の差があり、大卒の初任給の給与よりも安く、年収で言うと前職の正社員で働いていた時よりも140万ほどさがり、正社員での雇用はなく3年MAXの契約終了という条件の元働いていることがデメリットです。金銭面で言うと、今の企業が良い方であり、もっと低い企業も多くありました。とても一人で生活できる金額ではなく、身体障害者手帳3級であれば国からの補助金等もないt目生活はかなり困難な状態です。身内が居れ話は別なのかもしれませんが、兄妹もいない上に従妹や親を含めた身内とは大学卒業後一切連絡を取って異なことから、とても苦労をしています。税金面で多少は減額がありますが、籍入れずに母子家庭という形で国からお金をもらい籍をいれていない男性と一緒に暮らしている身内などを見ると、不平等だという気持ちと、私自身生きていることに価値がるのかどうか見いだせずに、お金もない為友達と外食をする事も出来ず、様々な人間関係や不信感を抱きながら生活をしていると言うのが実態です。

(N.S・30才・東京都)


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