希死念慮の原因※ある日、自分のキャパシティーを超えてしまい思考能力が低下し・・・

ある日、自分のキャパシティーを超えてしまい思考能力が低下、希死念慮に陥る

某大手人材派遣会社の内勤として勤務していたときの話です。

そのころの業務は、ひどいときは早朝から深夜まで続く大変な激務でしたが、責任感から目の前の業務になんとか食らいついました。

生活リズムが乱れ、寝れない日々。

かなりのハードワークでしたが、やればやった分だけ返ってくる、時にお客様や派遣社員の方から大変に感謝されることもあり、それにやりがいを感じ自身のすべてを投げうっている状態でした。

しかし、あるとき自分のキャパシティをふと超えてしまったようで、気がつけば微熱と下痢が1カ月以上続くほど体調が悪化していました。

思考能力や記憶力が大幅に低下し、仕事上でのミスが目立ち始めました。

知人のすすめで近所の神経内科で診察したところ「中度うつ」と診断され、このままでは悪化し危ないとのことでドクターストップで退職することになってしまいました。

悔しさもありつつ安堵もありつつ、なんともいえない感情でした。

そうしてなけなしの貯金を切り崩しつつ自宅で療養する生活が始まりました。

療養といっても家ではひたすらベッドで横になり、観てもいないテレビを観ては携帯をいじったりと、何もする気がおきず無意味な日々をただただ過ごしていました。

そんな日々が数か月ほど経過した頃でしょうか。

自分に未来がないことに気がつきました。

自分の存在価値がないなら、いっそいなくなった方がいいのではと、希死念慮に陥りました。

そんなどん底から救ってくれたのは「人」でした。

旧友はそんな無価値の自分でも、昔と変わらず接してくれました。

親は時にはぐうたらな生活を戒めつつも、あたたかく見守ってくれました。

元同僚は引きこもっている自分を無理やり連れ出しては、バカ話をしてくれました。

そうして1年後、知人の紹介で別な仕事につくことができました。

ちょうどその頃、自営業を営んでいた親が業績悪化で倒産することになりました。

会社の整理をしたり自宅を売却したりとバタバタでしたが、体調が戻った自分はそんな親のサポートができるほどになっていました。

また、そのサポートをすることで、元の自分を取り戻すことができたのではないかと感じています。

ちなみに今では生活が盤石になり、無事に結婚をして、愛する嫁とふたり仲良く楽しく暮らしています。

結局、人はひとりでは生きられないのではないでしょうか。

ひとりでは弱いので転ぶことがあるかもしれませんが、周りの人のサポートがあれば必ず立ち上がれます。

困難なことは生きていく上で必ずあります。

今でもたまにつらい時があります。

そんなときは人に頼ってはどうでしょうか。

そうして今日も妻に叱咤激励されつつ、つらいことにもめげずに頑張っていこうと思います。

看護士の仕事で自分を追い詰めた結果、希死念慮で頭がいっぱいに・・・

私は看護師として10年勤務しておりました。

部署の異動と親の発病・看病・死・兄弟の子供が生まれ物理的にも精神的にも心が休まる時間がなくなり睡眠時間が2-3時間になっておりました。

親の死後すぐ部署異動があり、まだ心の穴が埋まっていないところへ新たな部署での仕事に慣れること、勉強など自分自身を追い詰めるように必死で仕事をしており帰宅しても倒れるまで勉強をするようになっていました。

ある日の仕事の帰り道「このまま階段から落ちてしまえばどんなにらくだろう。車で海へ突っ込もうか」と思いました。

希死念慮で頭がいっぱいになりました。

ふらふらと帰り道を運転しながら心が爆発しそうで涙で前が見えなくて、車を止めて家族へ電話。

「死のうと思うけど・・・電話してみた。」と。

とにかく一度帰宅するよう説得され帰宅。

家族に辞職したいことを話す。

そこまで辛かったのならまずはゆっくり休んだらと言われ、精神科を受診し休職へ。

薬は合わなかったけれど、精神科医師へ話をしていると心病む人は結構いるようで私だけが異常ではないのかと少しほっとしました。

うつになる人は頑張りすぎてまじめにやりすぎちゃてなった人が多いと思うから、まずはゆっくり休んで無理しすぎない、頑張りすぎないで自分をゆっくり見つめ直してみてほしい。

信頼して話をできる人がいるなら話をしてほしい。

ため込まずに吐き出す、よい解決方法があるかもしれない。

私は職場を辞め貯めていた貯金で自由に過ごす時間を得ました。

今までの苦しみはなんだったのかうそのように何にも縛られず楽しい時間を過ごしました。

今うつで、うつの症状で苦しんでいる方がいるなら、重りになっているものからまずは離れてみてください。

きっと今よりは生きやすくなると思います。

それとなんでも吐き出せる人に話をする。相談できる人がいないなら、文字をかける力がもし余っていれば紙に書きだしたり、ブログにぶつけたりとにかく外に吐き出してみてください。

うつの人はたくさんいる。生きづらくなっている人はあなただけではない。

この時代に生まれてきたことにどんな意味があるかはわかりませんが、苦しむためだけに生まれたのではないから。楽しかった日々を思い出して見てください。

これだけの苦しみの後にこれ以上の苦しみはないと信じて、ただ何もできなくてもいい、生きてるだけでそれが奇跡なんです。

あなたらしい解決策が必ずあるはずでし。たまには周りえお頼ってみて下さい。

うつ病で失業後、ホームヘルパー2級の資格を取り介護施設で働いた

私は平成19年の年にあるお店にて働いていました。

お客様とトラブルを起こしてしまい、会社を辞めなけばいけなくなりました。

解雇ではなく、自主退職をしました。

その後精神的に不安定になり病院を受診すると、うつ病と診断されました。

全くヤル気がおきず毎日死ぬ事を考えました。

それから半年ほど失業していて働かないと生活ができのでホームヘルパー2級の資格を取り介護施設で働くようになりました。

うつ病を持って働くのは辛かったです。

病院を通院しなが薬をのみ仕事をしてました。

それから約8年後くらいに介護をするのが嫌になり、清掃業へ転職しました。

昨年父が他界しうつ病は悪化し昨年12月に入院をしました。

父の他界はすごくショックで未だに受け入れてません。

入院の診断されたのですが抑鬱と診断されました。

退院後、自宅と通院で療養しております。

働く事がてさできないので、今は障害2級の申請が通り障害年金2級を受け取ってなんとか生活をしています。

抑鬱になってから毎日死ぬ事ばかり考えています。

母も抑鬱なので、遺族年金と障害年金と私の障害年金で生活をしております。

母は昨年6月に入院し、今年の1月に、退院して一緒に暮らしております。

毎日のように通院をしています。

最近ではパニックをおこしやすくなっています。

バタバタした時などはパニックで何をしていいのかわからなくなります。

最近で2回注射をしに行く事が多いです。

夜もあまり、熟睡できてません。

薬を飲んでいるのですが、なかなか熟睡感がありません。

毎日によう身体が疲れおります。

また食欲もあまりなく、病院で処方してもらったラコールを飲んでます。

季節の変わり目や天気の良くない日は気持ちが落ちてます。

ネガティブになれずポジティブになっています。

いろんな人に相談したり話したりして少しでも気持ちを落ちかせてます。

眠いのに寝れないのは辛いです。

近々病院をするので医師に寝れない事を相談しようと思ってます。

家の事は私が全部しており毎日疲れはててます。

ホームヘルパーさんを使って食事支度や掃除をお願いしてます。

(アキさんだよ)

建築設計の仕事で精神がオーバーヒート、鬱病になり自立支援医療費を受給した件

私の病名は鬱病です。その症状が出始めたのは、今から8年程前になります。どのような原因で私がこの病気になったかといいますと、仕事が建築設計の仕事をしているため、長時間労働と一人で抱えていた仕事のキャパオーバーが原因で、私の精神がオーバーヒートを起こしました。

私の主な症状は、吐き気、不眠、食欲の低下、倦怠感、集中力が続かないといった症状に悩まされていました。特に辛い症状が吐き気でした朝起床すると同時に、強い吐き気に襲われこれを何度となく一日に何回も起こりました。その為事務所にも出勤することができなくなり、このままこの事務所にいては、私の体はボロボロになるといいう不安に悩まされました。それでやむなくっこの事務所を退職することとなってしまったのです。

退職した後もやはり吐き気の症状は、治まることはなく一日中吐き気に襲われて、これは普通ではないと思い、母の薦めで今の心療内科を紹介してもらい今も通院しているという具合です。退職した旨を主治医である医師に鬱になった経緯と症状をお話して、薬を処方してもらい3ヶ月程で吐き気の症状が完全に治まりました。ですが、この鬱の病気は、これで治ったというわけではありませんでした。

それから5年後の現在もまた、あの時と同じ症状に襲われることになったのです。それでとうとう、医師にこれ以上高額な医療費を、毎月支払っていくには、今の私の精神状態ではまともに働くこともできませんと申し出た時に、先生からこの自立支援医療のお話を聞くことができたのです。私はすぐに医師に診断書をかいてもらい申請をしました。それからは収入が減額されてしまった現在も安心して診察や血液検査を受けることが、出来るようになり経済的にとても私にとって助かっている制度だと思っています。

(W・40代・男)

更年期とうつが混じった症状

40代後半から更年期とうつが混じった症状に悩まされました。病院で診断。

冬でも体が熱くて布団に入れば汗をかく、夏などはもうエアコンと扇風機がなければ寝れない。とてもつらい2年間でした。夏は特にいつものぼせた感じで部屋の温度をさげても体に風が当たっていなければ涼しく感じなく寝てる時も常に顔に扇風機の風をあてて寝ていました。本当は風を直接あてるのは良くないそうで子供には注意されていたのですがどうにか眠りたい一心でいつも顔には風をあてていました。そうすると眠れるのです。寝ているときが一番幸せ。起きるとなまりのような体を鞭打ち家族にご飯や掃除、もろもろの用事が沢山あります。ですが思うようにはかどらず、自分にイライラ。それがまたストレスになり自分は今日1日でこれだけのことしかしていないのにどうしてこんなに疲れるのだろう。怠けてるのかとか夜になると一日を振り返り落ち込んでしまいます。ですが、家族が帰ってくる時間には何とか帳尻合わせで夕食をつくり部屋をかたずけあまり心配させないようにと頑張るので家族にはそれ程ひどくは写っていなかったと思います。反対にいうと家族がいたから重症にならなかったとも思っています。

うつの人は一日何もしないで退屈じゃないのとかいう人がいますが、本当に働きに出てなくても日常生活をこなしていくのが一杯一杯です。体がだるいので時間が何もしてないのにあっという間に過ぎていくのです。それを責める身内がいなかった事が早く治った要因だと思っています。きっと気づいてたと思います。手抜き料理が並んだ食卓。家族には感謝してます。

(みこ・51才・奈良)

会社にいく途中に涙が出て止まらなくなる症状

私は社会人になって会社の上司と同僚の板ばさみになりどちらが正しいのか誰が間違っているのかが分からなくなり不眠症になってしまいました。特に日曜日の夜が酷く、起きたら会社に行かなければならないという強迫観念から寝ても眠れない、熟睡ができずイライラして他人に当たってしまうということが増えました。

そのうち、会社にいく途中に涙が出て止まらなくなるということが続き、自分でもよく分からなくなり、更に会社にいるとひたすら眠たいという現象がでるようになり、仕事中はおきていられるのですが昼休みになるとご飯も食べずに眠ってしまうようになりました。

さすがにこれは何かおかしいだろ、と自分で思うようになり、会社を休んで病院へ行くことにしました。しかし最初は何科にいったらいいのか、自分が何の病気なのか分からず内科にいってしまいました。そこの医師に相談すると併設されている心療内科に回され、治療を受けることになったのです。

まず医師から言われたのは「治らない」ということです。症状を自分で把握し薬で抑えることはできるけど、根本的には自分の精神状態をよくしないといけない、とのことで、会社から距離をおいてほしいと言われました。ですので、会社を三ヶ月休職し、薬を服用しご飯をきちんと食べ、ちゃんとした時間に眠り起きるという当たり前の行動を当たり前にとることにしたのです。すると徐々に精神状態がよくなり、昼間眠くない、イライラすることがない、日曜日の夜に明日会社だと思って眠れないなどということがなくなりました。

原因から自分を遠ざけるのがうつに対して一番効果的なことが判明しました。皆さんも悩んでいるようでしたら、そのストレスから距離をおくようにするとよいと思います。

(こーひん・33才・大阪府)

対人関係で負担を感じると無気力になり嘔吐する症状

私は精神的に負担を感じると無気力になり、体調を崩します。無気力になって、食事を嘔吐したり、不眠になって、無気力になるりやすいのです。
どのようなときに精神的に負担を感じるかというと、対人関係によるものが多く、それは仕事や友人のみならず、家族でも、言いたいことが伝わらないと、負担を感じやすいです。たとえば、努力をしているけれど、求められている結果がなかなか出ないとき、やり方が良くないのか、他に効率的な方法はないか指導を頼んだとき、叱られると畏縮してしまって、悪循環に陥ります。育つ過程で、少しでも失敗をすると、必要以上に責められたのも一因とは思いますが、叱られること、失敗をすることへの恐怖から、思うように動けなくなるのです。そして、できない自分を、自分でも責め、無気力になります。
病院を受診した際は、特にうつ病と診断もされず、通院の必要もないと言われましたが、精神的な負担は少なくする方が望ましいのは確かなので、環境を変えるようアドバイスを受けました。
受診当時、体調を崩して、仕事を休む旨を会社に伝え、休んだことがあったのですが、親が病院からそのまま出勤するように、勝手に動いたことがあります。当然、会社に病気の人間が来ても邪魔なだけだし、上司も休むように言うのですが、会社に車で送られ、会社からは帰され、結局休んでいるけれど休めていない日が続き、退職することが数回ありました。親に何度も説明しても、会社に尽くすのが当たり前だとか、何が悪いのか理解しませんでした。受診しても、親の望む診断がされないと、病院を変えてまで主張してきます。話が通じないので、環境を変えるべく、親元をこっそり離れ、体調も回復し、自分の体や精神的な健康を考えながら生活できています。

(sara486・29才・神奈川県)

うつ病で決断力がなくなる症状

私は以前にうつ状態になっていた時期がありました。それは5年くらい前のことです。うつ状態になった理由はまずひとつに自分が出来る仕事がなかなか見つからないことでした。色々な職種のアルバイトをしましたが、職場で嫌なことがあったり自分に合わないなと思うとすぐに辞めていました。なので定職に付けない状態が続いていました。そしてもうひとつはその時唯一楽しく会話が出来る友達とも疎遠になってしまったことです。それからもうひとつは近所の方や前の職場の方が、私の家の前に来て私のことを噂するようになったことです。このような事が重なって私は人と会うことが怖くなり、本当に大事な用事の時しか家から出られなくなりました。このような期間が3年くらい続きました。この時は毎日家で映画を見たり子供の頃に見たアニメを見て完全に現実逃避をしていました。その頃は買い物に全くいける状態では無かったので、食品も日用品も全て家族に買ってきてもらっていました。そして新しい洋服も靴も買いにいけない状態で、インターネットで洋服を買おうとしてもどれを買っていいか分からなくて、決断力が全くもって無くなっていました。それから年月が過ぎて行って、少しづつ自分と向き合うようになっていきました。自分の状態や家族に迷惑をかけている現実を見ると、自分のするべきことが分かってきました。うつ病はその人によってうつ病になってしまった理由や改善方法が違うと思います。私がひとつ思ったことは夢を持つことでうつ病が少しは解消されるかなと思います。そして悩んでいるのは自分だけじゃないということを知ると気持ちが楽になると思います。

(まちこ・27才・北海道)

電車に飛び込みたくなる症状

私が初めて「これはうつの症状かな?」と思ったのは念願の仕事に携わるようになってから5年程経った時でした。いつもと同じ様に仕事をしていたのに、昨日は良かったことが今日はダメなことに変わっていたり、あからさまに無視をされたり…。始めは「私何かマズいことでもしたのかな?」と思いいろいろと考えました。しかしいくら考えても答えが出ずに、毎日がだんだんと憂鬱になっていきました。

ある日仕事から帰る時に、当時私は電車通勤をしていた為、いつもと同じ様に駅で電車を待っていました。そして電車が駅のホームへ入ってきた時にふと思ったのです。「今ここで電車に飛び込んだら全て楽なるのではないか?」と。その時は思い留まりましたが、一度そういう事を考えると何度も考えるようになりました。休みの日に母や友人と買い物に出かけても、人がたくさんいると怖くなり、すぐに帰るということを繰り返しました。精神科を探したり、誰もいない職場で後片付けをしながら声を上げて泣き、家に帰ってからは家族に泣いた顔を見られたくない為部屋に閉じこもったり。このままずっとこんな日が続くのかと毎日考えていました。

もう全てが嫌になり、自殺を考えた時に母からついに聞かれました。「何かあったの?」と。全てが嫌になっていた私は母に全てを打ち明けました。これからどうするのかも。母は泣きながら怒りました。そして仕事を辞め、しばらくは好きなことをするように私に言いました。幸い私には趣味があったため、それに没頭することでだんだんと症状は改善されていきました。数年経った今は結婚もし、子供を授かることもできました。あの時母から背中を押してもらい最悪な状況を抜け出したこと、趣味に没頭出来たことが鬱から私が脱出出来た打開策だと思います。

(あいじゃ・30才・愛知県)

パワハラでイライラ、運転中に眩暈、耳鼻咽喉科に行った結果…

以前勤めていた病院での経験です。上司の女性の人からのパワハラがとても強く、何をやっても納得してもらえない状況で、自分よりも前に入職した同僚も、彼女のイライラに巻き込まれたくないのか、見てみないふりに徹底しているという環境です。

入職して3ヶ月くらいすると、出勤時に車を運転していると眩暈がひどくするようになってきたのです。最初は、身体の調子が悪いのかと思い、耳鼻咽喉科に通い眩暈の検査等をしたのですが、特に疾患は見つからなかったのです。それから、数週間すると、今度は、全く眠れなくなったのです。その時の睡眠時間は、一週間で5~6時間だったように思います。

余りに酷い不眠症だと思い、心療内科に行こうと考えクリニックに数件連絡を入れたのですが、どのクリニックも予約を入れるのに数ヶ月掛かるという返事が返ってきたのです。なので、とりあえず内科に行って、相談することにしたのです。

診察時、医師から、「ひょっとしたら、うつ病になってるかもしれないね・・・。」と言われびっくりしたのを覚えています。それと同時に、医師から幾つかのアドバイスがあり、実行したのを覚えています。一つ目は、寝る前の飲酒をやめると。二つ目は、定期的に運動をすること(ただし、やりすぎは逆にストレスになるので8割の力で実施)。三つ目は、服薬を開始すること。最後に、仕事をやめること。以上の4つです。

結局、仕事は、それから3ヵ月後に退職。2ヶ月程、無職の状態ですが、現在は、不眠も解消され、眩暈も有りません。うつ症状もひどくならず、現在、少しずつですが減薬中です。不眠は、うつ症状のサインらくし、早めに対処したのが良かったようです。ちなみに、現在、就職活動中です。

(頑張り屋さん・42才・静岡県)

離職率が高い介護の仕事

介護士として働いていた者です。介護の仕事は、離職率が高いといわれています。腰を痛める者や認知症高齢者のケアなので精神的にきつくて辞めてしまう者が多いからです。私の場合は、主任という立場になったことで、仕事の量が増えたことと、任された責任とそれをこなせない自分との葛藤などで悩んだり苦しんだりしたことが原因でした。

仕事に行くことが徐々に苦痛になり、精神的に不安定になりました。症状としては、気持ちがひどく落ち込んだり、まったくやる気がなくなってしまったりしました。働いている以上は仕事はしなければならないのですが、自分の中で頭がまるで働かない気がして判断がまるでできない、そんな状態でした。また、肉体的には、食欲が徐々になくなったり、つい考え事をして夜眠れないようになりました。それで、次の日にボーっとしてしまい、また落ち込んだりという繰り返しでした。自分をダメな人間だと責めたりしていました。家族にもなかなか話せることでもないので、そこでも苦しさを感じました。

しかし、別に悲しくもなく、何もしていないときに涙が出て、それが止まらなくなり、体が本当に悲鳴を上げているのだなと悟りました。これは本当にまずいと思い、市内にある病院の精神科を受診しました。先生ともよく話をし、処方された薬を一年間飲みました。服用するようになってからは、以前よりは眠れるようになりました。そして、少しずつではありますが、落ち込んでもそんなにひどく落ち込むということはなくなりました。

(yoshi・47才・鳥取県)