うつ病をオープンにして就職するのは難しい

私は中学の頃から理由のない倦怠感に悩まされ、うつ病と診断されているのですが、高校はなんとか卒業し、それからは職を転々としています。
アルバイトや派遣の仕事を短期間でしか続けたことがないので、年を取るにつれてこれからの就職を考えると不安になります。

まず、うつ病で就職となると、病気のことをオープンでいくかクローズにしておくかで悩まれる方も多いと思いますが、自分は田舎に住んでいるため就職先も限られているし、オープンで雇ってもらえたことはありません。
しかし、もし可能であれば、オープンで雇ってもらうことをお勧めします。
というのも、私は今まで何度も、就職後数カ月してから、うつ病を再発させています。
仕事に夢中になると、病気のことを見くびってしまいがちにもなります。
みんなもがんばっているのだからと、ついつい残業してしまったり、大変な仕事を引き受けてしまったりするので、仕事を始める場合には、病院で認知療法を受けながら再就職をした方が良いかもしれません。
客観的に自分の仕事量と症状を気をつけて見るようにしないと、再燃してしまう可能性が高まると思います。
周りも、私の体が弱いことなど知りませんから、どんどん仕事を任せられるといった状態になってしまいがちでした。

それから、薬をたくさん飲んでいる間の就職はお勧めできません。
やっぱり、無理をすると、特に自分ではストレスを感じていなくても、薬の効きが悪くなってしまうことがあります。
効かなくなったからと、どんどん増やして仕事をしているのでは、悪化してしまう可能性もあるので、その場合は体調を優先させた方が、後々後悔しなくてすみます。

(たか・30才・広島県)

アルバイトで社会復帰しました

シフト制の会社で仕事をしていた時にうつ病を発症しました。午前7時から午後11時の中で9時間勤務をこなす生活をしていました。20代前半の頃はこのような生活をしていても問題がなかったのですが、年齢を重ねるごとに辛くなり我慢をしていた結果うつ病を発症してしまいました。同じシフト制で働いている同僚は健康に問題が無いようで、「私も頑張らないといけない」と思い相談できずにいました。結局仕事を辞めることになったのですが、最初の頃に相談すればもっと違った結果になっていたかもしれません。うつ病を発症する方は、ため込む方が多いので相談できる環境を作る事が大切だと実感しました。

勤務形態が合わなくて体調を崩し辞めることになりましたが、その仕事自体は好きでした。接客業をしていたのですが、毎日お客様と話をすることが幸せでした。うつ病を発症して自宅療養を始めたのですが、お客様と話をできないことが苦痛で仕方ありませんでした。

少し早かったのですがアルバイトで社会復帰をすることにしました。同じ接客業で午前6時から午前9時までという短い時間なのですが、働くことによってルーチンワークができ規則正しい生活ができるようになりました。お客様とまた話をすることができ、質の良い生活をおくることができています。もう少ししたら、正社員での仕事に就きたいと考えています。ただ、仕事よりも大事なのは健康で無理は絶対にしないと心に決めました。

(ダンキ・29才・三重県)

うつ病であることを隠してアルバイトの面接に臨み、採用してもらった話

社会人一年目の時、うつ病になりました。
原因は会社の先輩とうまくいかず、目に見えて冷遇される(大勢の前で同期と比べられ蔑まれるなど)ことが何度もあったせいです。
不眠・不安感がいつも消えず、いつも気疲れしていました。

結局その会社を退職することになり実家へ帰ったのですが、正直最初は働きに出たくはありませんでした。
ただ、失業保険の申請をしていない(会社に「失業保険の申請はしないほうがいい」とそそのかされ、当時判断能力が弱くなっていた私はそれを鵜呑みにしてしまいました)ので、手元に残っていたお金で生活をやりくりしなければいけなくなりました。

実家にいるから食べ物に困る心配はないとはいえ、診療費や薬剤費まで親に頼るのはどうだろう。
1回数千円かかる医療費をいつまで捻出できるのかと考えると、早く働かなければと悩んでいたのを覚えています。

内職を探そうにもなかなか見つからず、困っているとあるスーパーマーケットの「オープニングメンバー」の募集が目に留まりました。
オープニングメンバーなら先輩と呼ばれる人はいない(年上の方はもちろんいますけど)し、何より人と接する訓練になるな…と考えたのです。
地元の友人はほとんどが違う職場で働いているし、自分を知らない人ばかりの中でならやり直せるのではないか…とも思いました。
だって私がうつ病になってしまったことを地元で知っているのは、家族だけだから。

本当はいけないことなのかもしれませんが、うつ病であることを隠してアルバイトの面接に臨み、採用して頂きました。
うつ病を理由にして休んだりはしなかったので、今となっては病気だと言う必要はないんだなと思います。
耐えられないようだったら別のアルバイトを・・・と考えていましたが、結局5年ほど勤めました。
今は正社員になろうとその職場をやめて求職中です。

不眠症状で眠れない時は全く寝ないで働いたりとキツかったですが、職場(の人間関係)が原因で悩んでいる人は職場を変えるだけで症状が激変すると思います。
また自分がうつ病であることを正直に言う必要はありません(業務に支障が出る場合はダメでしょうけど)ので、新しい自分に生まれ変わった気持ちで仕事を探すといいかもしれません。

(ヤスマサ・30才・栃木県)

大学生の時うつ病になり、卒業後、フリーター生活。就活しようと思ったが…

私は、大学生活でうつ病になりました。うつ病と分かってから、実家から離れて暮らしていたので、実家に戻り、あとは卒業論文を作るだけだったので、実家で書き上げて大学に時々通いながらなんとか卒業をしました。卒業に至るまで、大学を一時休学して、調子がだいぶよくなってから復学をするという形をとったのですが、調子がよくなってから、バイトも始めました。ずっと家にこもって卒論だけを書くよりも、外で身体を動かしたほうがいいと自分で考えました。あと、ずっと医療費まで両親に払ってもらうことが心苦しくなっていたからです。せめて医療費くらいは自分で稼ごうと思いました。

結局、田舎で仕事先も少ないことから、無謀なことにとても忙しいコンビニでバイトをすることになりました。多くても週三日、それ以上は働けないと面接の時にオーナーに話しましたし、うつ病で病院に通っているということも伝えました。その上で雇ってもらえたのは、とても幸運なことだったと思います。オーナーは良心的で、仕事は週三日であまり勤務時間も多くないようにしてもらえました。

そして、やっと大学を卒業して、当分はフリーター生活をしてお金をためてから就活をしようと思っていたところ、なぜかうつ病が一向に良くならなかったのです。自分でも不思議でした。大学が原因でうつ病になったはずなのに、なんでよくならないんだろうと。両親もそう感じていたらしく、私にいら立ちを感じていたようです。結局、週三日のバイトも辛くなり、お休みをいただいたときに、父に「バイトを休むんなら辞めちまえ!そんななら一生治らねぇよ!!」と怒鳴られ、言い返す余裕も何も無いまま、引き留めてくれるオーナーにバイトを辞めることをお願いしました。

今は両親もうつ病に対する考えを改めてくれたのか、とても私に優しくなりました。バイトを辞めたころは二人ともとても冷たく、家にいるのが息苦しくて仕方ありませんでした。今も病院に通いながらうつ病の治療をしています。ニート状態ですが、両親との関係もだいぶよくなったので、もう少ししたらまたバイトを探して働いてみるつもりです。今度こそ、シフトに穴をあけてしまわないようにお仕事をしていこうと思っています。前のバイト先には戻れないので、自分に合う場所が見つかるといいなぁと考えています。

(たか・24才・北海道)

転職活動、試用期間中の欠勤で解雇された

サービス業をしていましたが体調が悪く、気持ちにも波がありました。お客様から態度が悪いとのクレームもくるようになり8年勤務をした記者を退職しました。うつ病と診断されて、失敗した例とし点としては一人で生活をしていて身内に相談できなかったために働かなければいけないと思い、無理に働いていた事です。体調を崩し転職をした3か月後に症状が悪化し最終的にはパニック傷害からうつ病と診断をされました。収入面の不安から転職活動を続けていました。企業にはクローズだったのですが試用期間中の欠勤などにより、解雇という形で職を転々押してしまいました。

暫くは、安静にしていた方が良いとの事で就職をせずに日雇いのバイトをしました、単発的なバイトだっため、1日だけのイベントや2~3日のイベントだったため通院しながら働くことができ、覚えることもほとんどなく、整列させたりチケットモギリ等、簡単な仕事だったので収入の足しにはなるかと思い働いていました。ある程、薬の効果もあったのか落ち着いてきたころに転職活動を再開し始めるようになりました。その時に思ったこととしてはサービス業のような不規則な業務や、笑顔を求められる業務は正直クレームを招きかねないので難しいという判断でしあ。いくら多少安定してきたと言っても、気持ちにも波があり欠勤せざるをえなかったりすることがあります。しかも受付などでは笑顔が作れない単にクレームに繋がるという事もあります

最終的に就職を決めたのは人事総務でした。人事の場合、比較駅経歴がないと難しかったのですが、総務の場合には未経験者でも可能という所がありあした。当然、朝から夕方までの仕事で倍率は高く、異業種(サービス業から事務職)への転職という事もあり、中々就職する事はできなかったのですが、何とか契約社員という事で就職をきめました。いつも変わらぬ態度で働くことが出来ればよいのですが、社内のコミュニケーションをある程度取ることができれば「お客様」ではないたクレームにはならず、淡々と仕事をしいればよいので、表情や体調が悪く急に欠勤をしても期日までに業務が終わっていれば問題がない(サービス業の場合人員不足で誰かがわかりに出勤しなければいkませんが)といった意味で負担をかけてしまい逆に罪悪感を抱いてしまいますが、オフィスワークへの転職はうつ病でも働けると感じました。採用率は低いかもしれませんが、比較的、体調面に左右されずに働くことが出来る現場なのではないかと思います。

(NSO・33才・東京)

障害者職業センターで精神障害者の就労支援B型を紹介され1年間通所、介護パートをはじめた

私が最初の職場で不安神経症と鬱を発症したのは、介護という仕事内容で緊急事態がいつ起こってもおかしくないというピリピリした雰囲気の中で日勤・夜勤と仕事をしていた事や、仕事の人間関係の上下が厳しくて若手はベテランに対して意見を述べられないという雰囲気からです。

最初介護の職場の利用者さんが寝る前の薬を貰っているのを見て、私も夜勤明けとか眠りに入りにくくなり、内科へ行って精神安定剤や抗うつ剤などを処方していただいた末、その職場を自己都合退職で辞めてしまいました。

その後長い療養期間を経て再び社会に戻りたいと思い、その時に新聞広告にあった障害者職業センターの案内で障害者職業センターへ行ったのです。そこから精神障害者の就労支援B型を紹介され1年間通所した事で、自分ができるペースの仕事を探せるようになったのです。介護職をしていたので自分に合ったペースでできそうな介護補助の仕事を見つけてきました。障害者職業センターの人と相談をし、鬱ではあるけど今の所は安定をして就労支援Bに通所している事などから話す事ができ、無事採用にいたりました。
それから介護補助の仕事が認められて、普通の介護パートにしていただきました。

そこからもやはり疲れてきて鬱になり休むのの電話をするのが精一杯という状況になり、その後仕事も休みがちになりました。その時、介護主任から勤務日数や時間の縮小の旨を伝えられました。その時に、障害者職業センターのスタッフとは今後の事や介護主任への報告の仕方などを相談する事ができ、それからは時折障害者職業センターの人との相談を交えながら仕事を続けています。

(早月・40才・奈良)

慣例化している新人教育という名のいじめが原因で鬱病に…

会社の人間関係が原因でうつ病になりました。新入社員だったので緊張や慣れない通勤生活に加えて、覚えなければいけないことが沢山あり、いっぱいいっぱいでした。

先輩の人たちは、新人教育という名のいじめが慣例化しているようで、自分がやられたから入った人にやるということが続いていたようです。例えば、挨拶の研修など、笑顔がよくないという理由でトイレに連れていかれて笑顔の練習をさせられます。怖くて笑顔がひきつるのでさらに怒られます。

小さな会社なので同期は10名ほどですが、私以外にも、うつになって会社を辞めたのが5人ほどいます。みんな2、3年以内に辞めて現在は一人もいません。よく考えてみると、会社に残れている先輩たちは性格が悪いから平気なんだと思います。普通の感覚の人は、辞めるか病気になります。

覚えようと必死で睡眠時間を削っていたこともあって、不眠症になりました。だんだん、頭が真っ白になり何も覚えられなくなってミスがどんどん増えていきました。電話で何を言っているのか聞き取れないことも増えました。私は心療内科に通院しながら通っていたのですが、睡眠導入剤や安定剤など処方されていました。どんどん薬の量は増えてもよくはなりませんでした。そして、ドクターストップがかかり、1週間ほど会社を休みました。休職しても環境がよくなるはずもなく結局会社を辞めました。

失業手当をもらうには、ハローワークに行かないといけません。ハローワークは働くことができる人が行くので、病気が理由で辞めたとなるとなかなか受給しにくいです。担当の方がすごく親切な人だったので、離職の理由に理解を示してくださり、働けるようになるために親身に相談にのってもらいました。

しばらくして派遣ですが就職が決まりました。他の会社では、怒られることもなく丁寧に仕事を教えてもらえるということがわかったので、人間不信になっていた私にはいい職場でした。契約満了で退職したのですが、その後も連絡を取ったりしています。

生きていくためには働かないといけませんが、つらいときは辞めていいと思います。人間関係がおかしい会社は、どんなにお給料がよくても体を壊します。体を壊してまで働く必要はありません。辞めるときは不安でしたが結局何とかなりました。今は、通院もせず薬を飲むこともなく、あの経験があったから大概のことは乗り切れると思い過ごしています。

(すず・35才・北海道)

うつ病の人が就職をする前に訓練(就労支援)する※A型就労支援施設

私は10年ほど前に仕事が原因でうつ病になりました。働いているときは自分が病気なのかどうかもわからず、でも眠れなかったり体調が悪いことは自覚していました。ただ、収入を失うこと、仕事がなくなることが怖くて体調が悪くても働き続けました。最後のほうは会社を休むことが多くなっていき、派遣として働いていたため、すぐに辞めさせられたような状態でした。無理をして仕事を続けてから辞めたため、その時はだいぶひどい状態で、時間が空いても何をしたらいいのかわからず、以前好きだったことも興味が湧かなくなり、脳が動いていないような感覚に陥りました。寝ることもできず、ひたすら仕事を辞めた自分を責めたり、自分が自分で無くなりそうでものすごく怖かった記憶があります。

一番怖かったのは「脳が動いていないような感覚」です。ただ一点を見つめてぼーっとしているだけ。耳には鈍い耳鳴りのような音が聞こえていました。何もしていない、何もできない自分を何とかしなくてはと、心のどこかではものすごく焦っているのに、体が動かない。とにかく頭だけは動かそうと、やり始めたのはなぜか1000ピースのジグソーパズルでした。なぜパズルをやろうと思ったのかはよくわかりませんが、まだ病気を自覚していないけど、体調が悪かったころ、この体調の悪さ、ストレスを病院や薬以外で何とかできないか、ネットで探していた時に「カラーセラピー」というのを見つけていたことを覚えていたんだと思います。また、1000ピースのパズルは学生時代にも一度やったことがあったので、その記憶もあったのか、なんとなくやろうと思えたのです。「脳が動いていないような感覚」がパズルをやれば治るのではないかという思いでやり始めました。しかし、目には見えているのに脳に信号が行っていない感覚がして、ピースを持ったまま、また一点をじっと見つめていることもありました。

この時は、通っていた病院が合わず、薬も合わない病院から処方されたものを飲んでいたので治療になっていなかったように思います。ただ焦る気持ちだけは大きく、ネットで情報を見つけては電話もせずに病院に行って、このころは特に精神科は予約が必要なことも知らなかったため、「すぐには診察ができない」などと言われ、怒って二度と行かなくなったりしながら、いい病院を探して彷徨っていました。そんな中でやっと合うクリニックにたどり着き、しっかりとした診察と投薬が始まり、徐々に徐々に回復し、半年後には「もう働ける」と思えるほど回復したのでした。

しかし、医師からは「まだはフルタイムはダメだよ。短い時間のパートからやって行こう」と言われましたが、その頃は障害年金を受けられることも知らなかったため、「そんなこと言っていられない」と、医師の忠告を無視して、フルタイムの電器店でのネット契約の販売の仕事を見つけ、働き始めました。しかし、あっという間に再発しました。以前も電器店で働いていたことから、その経験を活かして就いた仕事でしたが、やはり販売というのは売上を上げることが第一の目標でしたし、薬のせいなのか研修「で教わったことをいざお客様の前で実行しようと思っても全く頭に思い浮かばず、できないんです。また自分では笑っているつもりでも、周りからは「もっと笑って」と言われていました。極度の緊張状態で笑うことができていなかったのです。そしてだんだん、声が出なくなり、過呼吸のように、胸のあたりが苦しくなり、頭がぼーっとしてきて立っているのがやっとの状態になり、どんどん薬も増えて、1か月で仕事を辞めました。

今うつ病の治療をされている方に。うつ病の再発は、場合によっては「ゼロ」ではなく「マイナス」まで症状が悪くなることがあります。私もその後は最初にうつ病になった時よりも大変でした。せっかく復職できたのにまた辞めてしまったことが大きな傷になったのです。医師の忠告を無視して、中途半端な状態で仕事に復帰することは自分だけでなく、周りにも迷惑がかかります。会社にはもちろん、家族にも。焦る気持ちはとてもよくわかりますが、うつ病になって治療をしていると、自分が思っているより思考能力や体力が落ちています。以前できていたこともできない可能性が大きいです。そのため、医師の言うことはよく聞いて、順番に階段を上がっていくことが大事です。最近では若い人向けのデイケアや作業療法を行えるサービスを病院で行っていたり、就労支援という、本格的に就職をする前に訓練をさせてくれるところもあり、なかでもA型就労支援施設は、最低賃金ですが、きちんとした収入が得られます。こうしたところは障害を持っていてもオープンにして、通院にも理解があり、何かあった時には相談に乗ってくれる人がいるような支援サービスなので、安心して働けると思います。そのような支援を受けながら、医師と自分の体とよく相談しながら復帰を目指していくことがとても大切だと、私自身も経験して実感しています。ただ、一番は一般の企業でも精神障害を持っていても、安心して働ける環境が整っていくことが理想だと私は感じています。

(yukoです・36才・岩手県)

日帰りの派遣を始めました

仕事や家族との関係が悪かった事により、ストレスが溜まったからか、私は無気力になりました。感動もなにもない毎日、ただ、精神科からもらった薬を飲まずにはいられない毎日が続き、そんな日々が嫌で仕方なく自分を責めていました。そんなある日、私の日常を大きく変える出来事が起きました。

いつものように無気力のまま過ごしいた一日でしたが、その日は大地震が起こりました。私は、その時、命の危険を感じました。これで人生が終わったら何のために生きてきたかわからない。と自分を責めてた思いが爆発したかのように、怒りが沸き上がりました。「こうなったらやけくそ」人間こうなったら強いです。一気に怖いものがなくなりますから。

私は、すぐに仕事を辞め、治療に専念しました。今まで辞める事は、悪だ、評価が下がると世間体を気にしていた僕でした。何より周りの人に嫌われるのが怖かったです。しかし、死ぬような思いをした経験から、人の評価は、あの世に持っていけない事。自分がこの人生を生きて良かったと思えるようになりたいと強く願うようになりました。今まで、ネガティブな事ばかり考えて、「考えない時間」がなかったり、落ち着いた気持ちになることなんてありませんでした。なので、瞑想を始めました。最初は、瞑想なんてしてて良いのだろうかなどの雑念が頭をよぎりましたが、続けていくうちに、何も考えない状態に出来るようになり、落ち着いた自分と向き合う事が出来ました。それから、心を落ち着かせて、人間関係が悪くなった原因や、日々の過ごし方と向き合って行き、一か月間は、引き籠ってたと思います。私は、一か月前と考え方が変わり、少し元気な自分を取り戻しました。

すぐに仕事を始めると体に負担が大きいと思ったので、日帰りの派遣を始めました。のんびりと自分ペースで仕事を行って行き、自分が社会に触れて、前へ進みました。今では、楽しく生活をしています。ある歌で「生きている事が辛いならば、いっそ小さく死ねばいい」という歌詞があります。私は、一か月間、社会から離れ小さく死にました。しかし、それが今後生きていくための道しるべになります。皆さんも、一度すべて捨てて、「小さく死んで」みてはいかがでしょうか。諦めた時、心から落ち着けた時、新たな、扉が開かれるかもしれません。

(ヒカリ・25才・静岡県)

就職活動中に拒食症と鬱病を発症

私は大学時代の就職活動中に言葉で説明できないようなストレスを感じ、拒食症と鬱病を発症しました。
でも、当時、「自分が拒食症だ、鬱病だ」とは認めていませんでした。でも、「何か自分の中で壊れていく」
「このままでは人生のレールから大きく脱線していく」というのは感じました。
その恐怖から余計に「どこでもいいから就職を決めないと」と焦りに焦っていたと思います。
そこで何とか仮面を被って地元の中小企業に内定を貰う事ができ、「自分の人生は保たれた」と思っていました。

でも実際に働いてみると、思っていた以上に自分の症状は酷かったようで、17時の定時には逃げるように退社していたのに、
毎日9時から17時の間、自分のデスクに座っているのが苦しくて仕方がありませんでした。
そもそも新入社員の立場で、17時の終業チャイムと同時に会社を飛び出す社員は1人もいませんでした。
それだけでも目立っていたのに、お昼の時間も1人になりたくて雨の中でも屋根のある公園に出て行ったり、いきなり違う
仕事を頼まれると極度に動揺したりとかなりおかしかったと思います。

それでも何とか会社にしがみつこうと必死で、会社での8時間は仮面を被り、家に着いた途端に自分の心の持って行き場が
見つからず泣いたり喚いたり大変でした。
その生活が半年続き、ある日会社でも叫び出しそうになって退職を決意しました。

そこから2年ぐらい家にいて母親とばかり行動していました。朝から晩まで自分の将来の不安について母親に訴えていたと思います。
それでも母親は毎日その話題に付き合ってくれていました。
その甲斐あってかその2年間で自分の将来に整理がつき、公務員試験を目指して無事就職する事が出来ました。

(ねこねこ・37才・京都府)