障害者手帳の家事支援が便利な件

25歳の頃、発達障害と診断され、その2次障害として、抑うつ状態、うつ病と診断されました。大人になってから、とにかく仕事についても長続きしない、心身不良になる、生活のリズムがくるってしまう、周囲の友達と、遊びに行っても、不定期にしか働けないので、ついていけない、ひどいときは、2週間ほど寝込んでしまい何もできない状態が続いていました。

うつ病と診断されてからも、障害者手帳は取得していませんでした。精神障害者福祉手帳を取得しても、福祉的なサービスが受けれるわけでもなく、障害者雇用の時に、精神障害者福祉手帳を取得したところで、うつ病ということも理解されずに苦しむだけだと思っていたからです。

同じ症状の方と結婚することになって、その方も就労が不安定で、生活に困難を生じてしまい、私も働いてはいたのですが、うつ病が悪化してしまい、働けなくなってしまいました。福祉サービスはあまりみあたらなかったのですが、毎日私も家事に追われていました。一人では家事をするにはとても大変で、主人も不安定なので、家事が回らなくなって、
片付けや、お料理を作ることさえもできなくなってしまいました。同時期に入院も2か月ほどしてしまい、とにかく、日常の生活に困難をきたしてしまい、昼夜逆転など、大変苦しい思いをしました。

そういうとき、病院のソーシャルワーカーさんから、精神障害者福祉手帳を取得してみては?という提案がありました。福祉サービスもあまりないですし、持ったところで、偏見などあったら大変だとは思いましたが、家事支援などのヘルパー、通院に付き添ってくれたりするヘルパーさんをつけたりして、生活をスムーズにしては?という提案がありました。手帳を取得して、ヘルパーさんに家に来てもらい、片付けを一緒に行ったり、お料理をしたり、家事などの工夫を聴いたり、話し相手になってくれたりと、本当にヘルパーさんがいてくれることで、毎日の家事の負担から解放されて、数年後には、投薬治療も少なく済むようになりました。精神障害者福祉手帳は、現在では、家事支援のほかに就労の時の障害者雇用で必要になりますし、限られた交通機関ではありますが、割引の制度があったりします。経済的弱者の精神障害者には、ホント助かっています。

(ぽこ・40才・東京都)

うつ病で仕事を退職した時、助けになるのが障害者手帳

「障害のある人」・・・そう聞くと、なんだか自分とは違う世界の人、かわいそうな人と思ってしまいがちです。病気になって弱っていると、「誰かに助けてほしい」と思う反面、過剰に助けがあるとプライドが傷つくという経験もあるでしょう。

でも、病気の時に周りの助けを借りるのは当然のことです。風邪をひいたら、家のことは家族に任せて治療に専念しますよね?病院へ行って、お医者さんや薬の力を借りますよね?障害者手帳を持つということは、社会全体から助けてもらうという意味です。車いすを使っていたり白杖を持っていたりといった見てわかる障害ではなく、わかりにくいけれども不自由な思いをしているという証拠になります。

それは決して、みじめだとか、もう健康体に戻れないのかといったマイナス要素ではありません。人に助けてもらいながら、仕事をしたり、生活をしたりするために必要なものです。経済的に苦しいですよね?仕事を退職した方は、なかなか次が見つからないですよね?そんな時に助けになってくれます。健康体になって必要がなくなれば、そっとしまっておけばよいのです。「あの時はありがとう。おかげで、こんなに元気になったよ」と。「税金が安くなるんだ、ラッキー」と思える人はうつ病にはなりにくいです。でも、その「ラッキー」を素直に受け入れる勇気があれば、少しだけ日々の暮らしに安心感が出てきます。その安心の積み重ねが病状の改善にもつながるでしょう。

(YM・33才・東京都)

精神障害2級の手帳のせいでハローワーク紹介の面接で落とされた続けた

私は6年ほど前にうつ病を発症し、今でも病院へ通って薬をふくようしています。最初は体の症状から現れ、胃の調子が悪く、地元の診療所で「逆流性食道炎」と診断されていました.しかし、一向に症状が良くならない事や、著しい体重の減少で、診療所の先生が、精神的なものかもしれないからと、紹介状を書いてくださり、精神科の病院に通うことになりました。

精神科では、まず、今悩んでいる事や、困っていることを先生にお話しし、私の場合は仕事と、家庭のストレスで、自分の居場所がないような感じであると話しました。先生はゆっくり話を聞いてくださり、まずは、休めることはやらないでいいので、ゆっくり休みましょう。と言われ、私は、症状のひどい時は会社を休むようになりました。しかし、当時は係長であったため休めば休んだだけ仕事がたまっている状態で、結局自分でストレスをため込んでいるような状態でした。しかもたとえ会社を休んでも、主人の両親と同居していた私は、やはり疎外感や、嫁としての務めを感じ、どこにいても気の休まるところはありませんでした。会社の社長に「うつ病」であると話しましたが、あまり理解してもらえず、今までの休みの多さを逆に叱責されるほどでした、そして私は会社を辞める決意をしました。

会社での問題は解決しましたが、これから毎日家にいるとなると、一日中嫁という仕事が待っていました。毎晩毎晩主人と話し合い、時にはけんかになり、それでも、私のつらい気持ちを理解してもらうまでには随分時間がかかりました。しかし、最終的には主人んが、「こんな病気になるまで築いてあげられなくてごめん」と、わかってくれ、私たちは主人の家を出て、家を新築することにしました。私は新しい生活が待ち遠しく、これで病気もよくなる、と、とてもうれしい気持ちでいっぱいでした。

家ができ、引っ越しをし、新しい生活が始まりました。最初は少し病状もよくなっていたようにも感じていましたが、治っているわけではないので、薬の服用は欠かせませんでした。薬がないと不安に思うほどでした。

私は住宅ローンのために仕事を探すことになりましたが、ハローワークで紹介してもらい面接で精神障害2級の手帳を持っていると話すと、どこの会社でも受け入れてくれませんでした。症状が出なければ普通に働けるのに・・・と、うまくいかない就活にまた鬱が酷くなっていき、遂には自殺を考えるようになりました。包丁を手に、首を刺そうと思ったこともありました。幸い子供たちが気づいてくれて大事には至りませんでしたが、家族に迷惑をかけてしまい、特に子供には申し訳ないと思っています。

今、私は運輸会社の事務員として働いています。病気のことは話していません。でも、不思議と、症状が現れることがなく、50歳にして新入社員の私は仕事を覚えるのに必死です。このまま定年まで鬱がばれず、働けるよう自分と鬱が、うまく付き合っていけるよう思っています。

最後に、うつ病には家族の理解が一番大事です。たとえ家事が出来なくても、主人と二人の子供は協力してくれます。いい家族に慣れたことが一番幸せです。

(こみみ・50才・長野県)

うつ病で傷病手当をもらい会社を休んだり復帰したり繰り返し障害者手帳を知りました

私は職場の人間関係でうつになってしまいました。板ばさみに合い会社に通うことに対してつらくなり、涙が出てしまうような毎日を送っていました。そのうち夜も眠れないようになりイライラするようになり仕事中はぼんやりしてしまうようになったのです。仕事はしているのですがまるで夢のなかにいるかのようで記憶として曖昧な感じなのです。不思議と死にたいという感覚はなく、うつ病は死にたくなる病気だと思い込んでいた私はうつではないと思っていました。しかし涙が止まらず病院に行ったところうつだと診断されたのです。

一年ほど病院に毎週通いました。その間傷病手当をもらい会社を休んだり復帰したり繰り返していましたが、本格的に治そうと思い仕事を辞めました。すると生活が苦しくなったのです。それを医者に相談すると障害者手帳の存在を教えてくれました。今の私には必要だし、世間の助けがいるというのです。最初は自分のようにまだ働けるような人間が障害者手帳をとってもよいのか悩みました。しかし現状として働けないし障害者手帳を持つことによって、優遇という言い方は悪いかもしれませんが認めてもらうことができるのです。あなたの症状は重たいしとっておきなさい、といわれ役所へ行きました。

先程も書きましたが、私は夢のなかにいるような感覚があり役所で申請するのも一苦労でした。自分の今現在もてる限りの集中力を使ってもしんどくて途中で手帳なんかいらないかもしれない、と思ってしまいました。しかし周りの助けもあり、夢のなかにいるような状態でしたが何とか申請することができました。

手帳を取得して、私はやっと病気だと認めてもらえたという感覚がありました。ここまでずっと自分は怠けている、と思い込み、自分のような者が申請してもよいのかなど悩んでいました。そして仕事も障害者枠で使ってもらえることになったのです。今まではムリしてフルタイムで働いていたりつらくても休めなかったのですが、今はムリをすることもなく、会社からも少し気を使われていますが、精神をすり減らすことなく暮らしていけてます。

(いぬきち・33才・大阪府)

自律神経失調症で障碍者手帳の申請、年末調整時に還付される金額が増える…

私は短大卒業後に正社員として入社した会社での仕事が忙しすぎたこと、また人間関係が円滑にいかず、「自律神経失調症」になりました。最初のうちは短期間の「リフレッシュ休暇」のようなものを取ってなんとかだましだまし仕事をしていましたが、気が付いた時には、会社の喫煙室で自分の腕をカッターで何度も何度も切るようになってしまい、絆創膏では済まないくらいの深い傷を作るようになってから、その仕事を辞めました。
最初に「自律神経失調症」になった時から通っていたクリニックがあったのですが、自傷行為が始まっている以上、ここでは解決しないと大学病院を紹介されて通うようになったのですが、地元ではないので交通費がかかること、また、かなりの量の薬を処方されること、そして、通院頻度が高い(週に一回でした)ために、病院にかかる総額は月にして三万円を超えるほどでした。通院頻度が高いこと、さらに予約をしていても随分と長い待ち時間が発生することから、その日は仕事を休まざるを得ません。当然、有給休暇もどんどんなくなり、会社を辞めるしかありませんでした。貯金もどんどんなくなっていき、無職になってからは両親に随分と頼ってしまいました。
そういう苦しさもカウンセリング時に話していたので、主治医が「障碍者手帳の申請をすべきだ」と教えてくれました。正直、それがなんのためになるのかさっぱりわかりませんでしたが、通院を長い期間つづけ、何とか派遣社員として仕事を始めるようになってから、そのありがたみがわかるようになりました。手帳があることを申請すると、年末調整時に還付される金額が増えるのです。まずそのことに驚いて、それから、手帳があることで優遇されることが随分あることをようやく理解しました。私は神奈川在住ですが、市を発着するバスであれば無料で乗ることができる、軽自動車を購入するとしても自動車税が考慮されるなど。治療に専念するためにけずることのできない通院費を、こうやってサポートしてもらえることが、私は本当に助かりました。

(miyu・39才・神奈川)

精神状態が悪化、精神障碍者福祉手帳が発行された話

私がうつ病(精神病)になったのは、今から10年程前です。当時忙しく仕事をこなしていましたが、会社の環境が合わなかったのか、段々と胸が苦しくなってきたのです。楽しかったはずの休みも何もする気が起きずただ、頭痛にも似た何か嫌な頭部の圧迫感を感じながら布団の中に入ってみたりもしました。その後、更に不眠症にも悩まされ、いたたまれなくなり心療内科へ。「うつ病ではないか」との診断でした。

それから、心療内科で薬をもらうようになり、薬を服薬しながら仕事へ。しかし、残念ながら薬を飲んだところで環境に急に適応できるはずもなく、症状は悪化していきました。ある日、突然倒れてしまい救急車へ。それをきっかけにさらに大きな病院へと転院することとなりました。「いつになったら、どこへ行ったらこれが終わるのか。」そんな、漠然とした不安が、更に私の精神状態を悪くしさらに悪化。ついに社会不適合と言われ、精神障碍者の手帳である「精神障碍者福祉手帳」が発行されました。

ただ、不安は尽きません。手帳が発行され、「体が悪い」と証明されても、それを受け入れてくれる人が、社会にはとても少ないからです。しかも私が公布された手帳は3級という、手帳の中のレベルでも一番軽い段階とされており、社会的なフォローも、上である2級や1級の方のようなものは受けられません。福祉に長けている業界でも、3級はあくまで、「ちょっと大変」程度の認識でしかないようです。

ただ、良かったこともあります。「ちょっとした公共サービスが割引になる」というのはあくまでオマケなのですが、何より「私はすこし虚弱です」というのを堂々と言えるようになったことです。今までは、精神病が恥ずかしくて、距離を置かれてしまうのが嫌でひたすら隠してきました。ですが、手帳を発行されてから「少々体が弱いので」と、前もって伝えておくことで、以前よりも気楽に物事に挑戦できるようになりました。
私の闘病はまだまだ続いています。基本的に、この病気には「完治」はなく「寛解(ある程度良くなった)」というところまでしか治せないとされています。ただ、自分の許容範囲を設定し、知ることで、新しい生き方を見つけられたと思います。

今悩んでいる方、ぜひ、病院ではなくてもかまいません。セラピストでなくてもかまいません。近しい人に、信頼を置ける人に、打ち明けて支えていただいてはいかがでしょうか?
恥ずかしいですが、それが、症状を悪化させない一番の方法と考えます。

(たけ・34才・東京都)

障害者手帳があれば障害に配慮した就職先をハローワーク等で探せます

私は10年以上高齢者介護の仕事をしてきました。様々な資格を取得し、介護事業大手の経営する老人ホームの主任を任されるなど順調にキャリアを積み重ねていきました。しかし主任になると部下と上司の板挟みや仕事量の増加などによって心身に負担が生じ、ある日出勤できなくなりました。気分の落ち込み、不安と恐怖に心は支配され、人との関わりや外出は一切拒否して毎日動く気力もなく、ベッドにほぼ寝たきりの状態になりました。そして次第に「自分は生きていても役に立たない」と自殺を計画し、自分でも気づかないうちに首にひもを巻いて自殺を図ろうとしていました。頭がぼやけて何も考えられず、無意識に死ぬ行動をとっていたのです。

自殺は勇気もなくて思いとどまりましたが自殺願望が抜けず「このままでは本当に死ぬ」と受診を決意しました。精神科受診には抵抗がありましたが病気なので治療をしなければと思いここで勇気を出して口コミで評判の良かったクリニックに通いました。診断はうつ病。薬物治療により1か月ほどで気分の落ち込みが徐々に治まり、3ヶ月ほどで自殺願望はほぼなくなり冷静にこれからの人生を考えるようになったことで医師と相談した結果、精神障害者保健福祉手帳の取得を決意しました。

障害者手帳は精神障害の場合、初診から半年を過ぎた人が取得することが可能で各公共施設や携帯電話利用料割引等の支援を受けることが出来ます。また手帳があることによって障害に配慮した就職先をハローワーク等で探すことも出来るため社会復帰をするうえでは必要なものだと思います。私は障害者3級という結果でした。自分に障害があると認定されることは正直辛いものでしたが、せっかく治療を受けてうつ病を治すための努力をしているのですから積極的に活用しようと思いました。私はまず外出して生活リズムを整えるため手帳取得者に支給されるバスや地下鉄の無料券を受け取り、映画館など割引が受けられる施設を利用する事にしました。うつ病になる前に仕事ばかりで気分転換もきちんとしてなかった自分にとっては博物館、科学館、国立公園など多くのものに触れて感じることで自分の人生を見直す良いきっかけになりました。今後は就職活動にも使用し、焦らず自分のペースで社会復帰していきたいと思います。

(NBS41・35才・宮城県)

生活保護は預金が35万円以上あるとダメ

私は、平成2年にうつ病になり、今でも通院していて、不眠症とか便秘症とか頭痛も持っています。だから、なかなか仕事にならないので、社員ではなくパートで働いています。転職も何回もしました。

ある時期に就職先が見つからず、ハローワークの紹介でセミナーを受け、そこの先生が診療カウンセラーの資格を持っていたので、うつ病なら通っている病院の先生に頼んで、障害者手帳と障碍者年金の受給を申し込んだら良いよとアドバイスされ、通っている病院に行って先生にお願いしました。障害者手帳の方は取れましたが、障碍者年金は先生から通らないから止めたほうが良いと言われました。しかし、生活するには苦しいので申し込みだけでもさせてくださいと先生にお願いし、手続きを行いました。

必要な書類は、年金機構にあり、その用紙に今まで通った精神科の病院の年月日と、症状がどうだったのかを全部書かなければなりません。私の場合、あちこちと転院したので、とても大変でした。その用紙と、住民票と、通っている病院でテストを受けさせられ、それに基づいた診断書を提出しなくてはなりません。

ちょっとその診断書の一部を拝見しましたが、そこには先生の意見として、今就労できる状態ではありませんと書かれてあるのは見ました。それを年金機構に提出しました。結果は3ヶ月かかると言われ、3ヵ月後に年金機構から返ってきたのは、非該当者という結果でした。先生の言うとおりになりました。

それでは困ったので、区役所にどうしたら良いのか問い合わせをしましたが、提案されたのは生活保護だったんですが、それには、所帯主と本人の銀行通帳の写しがいるらしく、預金が35万円以上ある場合には受けられないと言う事でした。仮に生活保護を受けたとしても、預金額には上限があり、35万円以内でないといけない決まりがあるらしく、私の世帯主は父で、預金金額で引っかかるので諦めました。

(次郎・51才・広島県)

障害者手帳の交付までは1、2ヶ月かかった

私がうつ病で通院を始めたのは約10年前になります。うつ病の原因となったのは、当時付き合っていて結婚も考えていた彼氏と別れたことと、仕事で役職についたのですがなかなかうまくいかなくなっていて悩んでいたことのふたつです。それまではまさか自分がうつ病になるとは思わなかったのでショックでした。しばらくは仕事を続けていたものの、体も心もついていけなくなって退職しました。それからは実家でお世話になっていますが、親もだんだん年をとってくるし、いつまでも頼るわけにはいかないなというプレッシャーもあったり。早く仕事を見つけなきゃと思い、短い時間から働けるアルバイトやパートの仕事を探しました。見つかりいざ仕事を始めてみても、体力や精神面でつらくなってしまい、短い期間で辞めてしまうことが何度もありました。働きたいという気持ちとは裏腹に、自分の体や心がついてこなくて焦る日々が続いていました。

うつ病になってから7年ほど過ぎた頃、私は人間関係についていけずにまたアルバイトを辞めるところまできていました。そんな時、久しぶりに街で知り合いと再会しました。病気になる前の私しか知らない相手は私の表情などに驚いたらしく、心配させてしまいました。うつ病のことやこれまでのことを話すと、その知り合いの身内にもうつ病になっている方がいるらしく、話を熱心に聞いてくれました。そして、そこで私は初めて、うつ病でも障害者手帳がもらえることを知ったのです。それまでは、障害者手帳というと、体が不自由な方がもらうものとばかり思っていたので、心の病でも手帳交付されることがあるということを想像すらしませんでした。

早速私は手帳を交付していただくために保健所へ行き、説明を聞きました。必要な書類を市役所などで揃え、通院している病院の先生に事情を話して診断書を書いていただきました。普段聞き慣れない書類もありましたが、市役所の方に聞いたりして割とスムーズに揃えることができて良かったです。全てを揃えて保健所に改めて申請し、交付を待ちました。交付までは1、2ヶ月かかったと思います。待つ時間は長かったですが、無事に手帳はいただけました。

手帳があると、級にもよりますが税金の免除があったり、公共施設の利用料が無料になったりと、様々な援助が受けられます。私は3級なので、精神障害手帳の級としては一番軽いものですがないよりは断然あった方がいいです。手帳により、ハローワークでも障害者向けの求人を紹介してもらえたりするので、仕事が探しやすくなりました。普通の枠の中で仕事を探してもいろいろ条件が厳しいこともありますが、障害者向けだと働く時間や仕事内容もそれなりに考慮されているのでいいと思います。これからも病気と付き合いながらにはなりますが、自分なりにやれることをやっていこうと思っています。

(きょうか・38才・宮城県)

自殺願望・自害未遂、私が障害者年金2級を受理された経緯

【まずは自分の病気紹介から】

私は14歳の頃、中学校2年の2学期頃から不登校になりました。理由は色々あったとは思うのですが、経度のイジメ・学業に対する熱意の消失、なのが主な原因でした。
その後、たまに学校に行ったり、先生が同級生を連れて自宅に来てくれたりなど、多少の交流はあったのですが、3年になってからは完全に学業を拒否していまいた。
その頃から心療内科・精神科を探しては受診し、そこである先生に「学校に行きたくなければ行かなければいい」と言われ、良くも悪くも不登校を自己肯定し始めました。
高校は通信制に進学。しかし3年途中で再び不登校に。

その頃から自分に否定的になり、衝動にかられては無茶、無謀な挑戦と失敗を繰り返し、一日の中で調子が良い状態と悪い状態が右往左往する精神的に超短期的躁鬱病にかかりました。
自殺願望が発生し、多量服薬(一回に120錠など)、飛び降り未遂、包丁を取り出して自害未遂。それらを複数回繰り返し、手が負えなくなった両親は自分を病院に入院させました。
約半年の入院後、それでもまともな生活は送れず、苦痛を伴う毎日を送り、最終的には地域福祉センターで紹介してもらった精神科に特化している総合病院で服薬とカウンセリングの治療を受け、現在体調は心身ともに良好です。

【年金の受給に必要な大変な労力】

自分はそういった経緯が認められ、障害者年金をもらっていますが、入院していた半年の間に家族が(主に母親が)様々な方法で障害者手帳と障害者年金を受理されるよう紛争してくれたおかげで、今現在障害者年金は2級、障害者手帳には3級で今の自分の立場が固定されました。

ただし、障害者手帳は比較的簡単ですが、障害者年金は簡単には通りません。
まず精神的理由で受診した病院に初診証明書を書いてもらい、次に渡り歩いてきた病院に行き同じような書類を書いてもらう。自分は複数の病院にかかっていたためあちこちに母親が走り回り、証明書の制作の打診、受け取りで最低二回。医者や病院の都合によりさらに数回。これらを行ってようやく必要な書類が揃います。

さらに次は障害者年金受給に対する申請書を書きます。
市役所に行き書類をもらい、過去にあった全ての病気による言動を書き記し、病院での診断も書き記します。
自分は相当酷かったようで、A4紙の1,5倍はある書類の表裏に書き続けて3枚にまで達しました。
それを下書き、間違いを正す、清書と段階を踏み、万全だと思って提出すると「ここがおかしい」「ここをもっと詳しく」「ここはいらない」など、役所の方に指摘を受けその度に書き直し、また書類を集める時にお金が5000~10000円ほどかかります。

それらをすべてクリアして初めて、審議に入ってもらえるのです。
自分の場合それを全て母親がこなしてくれたため(その時期自分は多少良くなったとはいえとてもそんなことが出来る状態ではなかったです)、お金が貰えると安易に考えていました。
そして審議は無事に通り、障害者年金2級として月65000円の支給を受けています。

【障害者年金は貰うためのハードルが高い】
ただし、その労力、費用、難しい提出方法など、受給されるためには相当な根気が必要です。
また、それだけやっても病気が軽いと判断されたり、書類に不手際があると通りません。
しかし、障害者としては、働かずにお金が貰えるという事は良くも悪くも精神面を楽にしてくれます。
障害を持つ方、またはそのご家族の方は一度ご検討してみるのも良いと思いますが、その際、自分ひとりで行わず、地域の福祉センターなどに相談し、具体的に説明、該当するかどうかなどを相談した上で始めることを強くおすすめします。

(障害年齢11年・25才・栃木県)