子どもに発達障害の疑い、一方、私は不安神経症と診断された

夫の転勤に伴い誰一人知り合いがいない土地に行ったのは、かれこれ14年前です。

当時は1歳になったばかりの子どもがいたので、子どもを通して友だちが出来るかと思いきや、予想以上に排他的な地域でそれもかなわず、さらには外出するのも交通の便が悪く、徐々に引きこもりになりました。

夫は毎晩帰りが遅く、子どもと二人きりの生活は思っていた以上に辛い毎日でした。辛い思いを夫に告げても性格が暗いと一蹴され、愚痴をこぼすことすらままなりませんでした。

そして半年後、市の一歳半検診で子どもに発達障害の疑いがかけられました。
まさかそんなはずはない。それを確認するつもりで受けた検査で次々に明らかになる障害。

なのに私の行動が子どもを障害児に仕立て上げているという夫。

加えてご近所トラブルに巻き込まれ、とうとう私の心は壊れました。

心療内科を受診し、不安神経症と診断されました。

以来ずっと薬を飲み続けて不安神経症と共存しています。

数年おきの全国転勤。未だかつて私の思いに理解のない夫。そして一生背負い続けていく子どもの障害。

受け入れられない私の心が弱すぎるのかもしれませんが、薬無しでは生きていけない体になり長い期間を過ごしています。

一時期パートに出て新しい自分の一面を見つけようとしましたが、逆にダメな部分ばかりで、周りからのものすごいパワハラを受け退職する羽目になりました。短期間でしたが病状は悪化しました。

それ以来就職は諦めました。あと三年で子どもの手が離れるので、私の人生もそこで終わりにする予定です。

(おかんちゃん・47才・大阪府)

障害者職業センターで精神障害者の就労支援B型を紹介され1年間通所、介護パートをはじめた

私が最初の職場で不安神経症と鬱を発症したのは、介護という仕事内容で緊急事態がいつ起こってもおかしくないというピリピリした雰囲気の中で日勤・夜勤と仕事をしていた事や、仕事の人間関係の上下が厳しくて若手はベテランに対して意見を述べられないという雰囲気からです。

最初介護の職場の利用者さんが寝る前の薬を貰っているのを見て、私も夜勤明けとか眠りに入りにくくなり、内科へ行って精神安定剤や抗うつ剤などを処方していただいた末、その職場を自己都合退職で辞めてしまいました。

その後長い療養期間を経て再び社会に戻りたいと思い、その時に新聞広告にあった障害者職業センターの案内で障害者職業センターへ行ったのです。そこから精神障害者の就労支援B型を紹介され1年間通所した事で、自分ができるペースの仕事を探せるようになったのです。介護職をしていたので自分に合ったペースでできそうな介護補助の仕事を見つけてきました。障害者職業センターの人と相談をし、鬱ではあるけど今の所は安定をして就労支援Bに通所している事などから話す事ができ、無事採用にいたりました。
それから介護補助の仕事が認められて、普通の介護パートにしていただきました。

そこからもやはり疲れてきて鬱になり休むのの電話をするのが精一杯という状況になり、その後仕事も休みがちになりました。その時、介護主任から勤務日数や時間の縮小の旨を伝えられました。その時に、障害者職業センターのスタッフとは今後の事や介護主任への報告の仕方などを相談する事ができ、それからは時折障害者職業センターの人との相談を交えながら仕事を続けています。

(早月・40才・奈良)