心療内科のクラシック療法

24歳の時に勢いで結婚してしまいました。何となくその時に毎日が楽しく無かったので、今考えると現実逃避だったのかな?と思います。その時はそこそこの収入もあり、プライベートも充実していたのですが、それでも何か虚無感がありました。充実していても毎日が楽しくない、矛盾していますが、私は当時心機一転、新しい自分になりたい、そう思っていたのです。そういう時に当時付き合っていた彼氏、現主人が転勤することになり、遠距離になるくらいなら、と一緒に転勤について行き、そのままゴールインしました。

新しい環境、結婚…。幸せでした。しかし1か月で壁にぶち当たりました。引っ越した先は思ったよりも田舎で、就職が無いのです。結婚しても仕事をフルにしたかった私は焦りました。焦って気分が暗くなりお酒に頼るようになり、生活にも弊害が出るようになりました。このままではいけないと、心療内科へ通うようになりました。診断結果は「適応障害、軽い鬱状態」でした。軽い安定剤とを貰って医者に従って服用していました。だんだんと心のもやが晴れて、焦ってもいけないと思い、短時間のパートに出るようになりました。すると結婚前のように毎日が充実すると感じるようになりました。毎日忙しくしていると心のもやを感じる暇がありませんでした。

しかしある日の朝突然心が苦しくなってしまいました。自転車でいつものように職場の近くまで行ったのですが、とても仕事が出来るような状態ではありませんでした。結局自宅へ帰り、布団の中でうずくまっていました。言葉にならない焦りが心を支配して、起きているのが辛くなりました。原因が一体何なのか自分でも分かりません。とにかく心が辛いのです。年をとることの恐怖、これからどうやって生きていくか、そういう事を延々と考えていました。食事をしようと起き上がってみたものの、食べ物の味がしません。結局また布団の中でうずくまっている状態です。3日間こういう状態だったので、診察日ではなかったのですが、心療内科へ行きました。先生に話を聞いてもらい、看護師さんにも優しくしてもらい、クラッシック療法というものも初めて体験しました。モーツアルト等のクラシックが流れるヘッドフォンを装着し、座り心地の良いソファーに寝かされ40分程目を閉じていました。そしてその日初めて処方された抗うつ剤を服用するようになりました。1週間程すると今度は元気が出てきました。元気が出て仕事以外でも体をパキパキ動かせるようになりました。そうこうしていたら物凄く痩せました。元々過体重気味だったのでハッピーな事です。

今現在も安定剤と抗うつ剤を服用しています。一時期節約しようと病院通いを勝手に辞めたのですが、案の定また布団の中から出られない心がどんよりとしてどうしようも無い気持ちになってしまいました。一定の周期でやっています。いつか気分は晴れると経験論で分かっていても、一度鬱状態になってしまったら這い上がるまで時間がかかります。修行だと思うようにしました。

(グーチョキグー・27才・山口県)

適応障害と診断され、幻聴、全身筋肉痛、糖尿病の併発・・・

私の場合の症状は、不眠症・気持ちの落ち込み・頭痛・肩こりなどでした。初期はまず布団からでられませんでした。気持ちが重くて「起きたい気持ち」がなかったのです。何もすることができないのです。ひとつ説では「お風呂に入れなくなるとうつのはじまり」というのがあります。それは本当です。何日も入れません。部屋の掃除とかも当然できません。あと外にでることができません。
うつの時の気持ちを色でいうと黒に近いグレーです。そんな状態で買い物とかに行きますと、私とその他の人の間にガラスがあって同じ空間にいるとは思えないのです。うちにいるときはいるときで頭の中で自分が水面がすぐそこにあるのに全然水面に出て息をしたいのにできないという感覚を味わっているのです。
少し楽になったような気がして、簡単な仕事をしてみました。しばらくすると幻聴に悩まされました。あと疲れが5倍ぐらいかえってきます。次の日は全身筋肉痛です。全身を使う仕事じゃないのに人疲れしてしまうのですぐやめてしまいました。なかなか仕事が続かないのです。
薬の副作用で体重が100kg近くなってしまいました。そして糖尿病との併発になりました。うつと糖尿とのたたかいです。
心療内科」の通院歴今年で8年目になります。

(lezeena・42才・栃木県)

「うつ病のなかでも、適応障害です」と言われました。

私は小学5・6年生ぐらいから不眠症の癖がありました。そのときは、自然に治っていました。たぶんまだ軽かったのだと思います。まだ、精神病院や心療内科などがオープンになっていたので、眠れないぐらいでは病院へ行くという考えはありませんでした。それに加えて、家族構成が祖母、私、妹でした。祖母に育てられたので眠れないぐらいじゃ病気とおもってくれませんでした。
うっすらともしかして不眠症なのではないかと思うようになりました。でも市販の睡眠剤を買うぐらいで病院には行きませんでした。なぜなら病院に行く勇気がなかったからです。地元に帰って事務の仕事をしていました。派遣社員での仕事です。社員さんより少しPCのスキルがあった為自分の仕事以外に社員さんにPCを教えたりしていました。「社員なんだから1、2ヶ月PC講習でもやればいいのに」と心の中でひそかに思っていました。仕事を頼られるのは嬉しいことですが、背負わされる身としては限界があります。派遣社員で低賃金で無理を言われます。うちには祖母のことを心配しなければいけないし、こんな派遣社員の低賃金で結婚もしてないのにこれからどうしようかと考えるようになりました。
そのうち、仕事に支障がでるようになりました。毎日の頭痛と肩こり。そして心が動かなくなり、コピーをとっているだけで涙がこぼれようになってしまいました。「もう、これは死ぬな」と思い仕事を辞めました。ようやく近くの心療内科で心療してもらったら「うつ病です。うつ病のなかでも、適応障害です。」と言われました。
(lezeena・42才・栃木県)

適応障害で向精神薬と睡眠薬を処方された後、離脱症状で苦しんだ

3年前、頭痛とその他不調で、心療内科が併設された内科に行きました。その段階では、内科のつもりで行きましたが、問診で、疲れていて眠いのに眠れないこと、仕事に行く準備にとてつもなく時間がかかること、ごく簡単なはずの仕事の指示が理解できないこと等、説明していくと『適応障害・うつ状態』であると診断されました。

薬の処方と、不調の原因と思われる仕事をしばらく休むように言われました。薬は、向精神薬と軽い睡眠薬を半錠ずつ飲むような少なめの処方でしたが、自分には全く合わなかったようで、むしろ気分が悪くなり、調子は悪くなって受診前よりも何も出来なくなってしまいました。

薬を変え、調子は初診の時より少し悪いくらいに持ち直しましたが、そもそも病院に行ったことが良かったのかと疑問に思ってしまうくらいに、薬を飲んでいる意味がないのではと感じるような状態が続き、休んでいた会社も辞めざるをえなくなりました。加えて受診料と薬代が嵩み、生活面での心配も重なって心も身体もポジティブにものを見られなくなりました。

病状とは関係ない事情で、受診できない(つまり薬もなくなってしまう)という状態になった時、初めて離脱症状というものの存在を、激しい頭痛をもって知りました。やっと受診できた時、先生がポツリと発した「そのうちに収まるんだけどね」という一言で、そもそも飲んでいる意味を感じられない薬の断薬を決めました。2回ほど、離脱症状に耐えられずに失敗しましたが、3回目で収まるまで耐えることが出来ました。それは、仕事を辞めて、家事すらまともに出来なくなっていた自分にとって、初めて成し遂げられたことで、薬がなくても動くことが出来るという事実は、とても目の前を明るくしました。

その後、調子が安定しない時期は度々ありましたが、少しずつ、出来なくなっていたことを取り戻しており、今は薬の服用も通院もしていません。断薬の時期に引っ越しをして、それよりも静かな環境に移ったというのも良いように作用したように思います。まだ完全ではありませんが、当たり前のことを普通に出来るようになっていく自分を噛み締めながら、毎日を過ごしています。

(KADOKA・32才・兵庫県)